長崎西高校第14回生同窓会に関連した最新情報をお知らせします

お問い合わせ
トップページ 新着情報 本部からのお知らせ 14回生各支部より 14回生掲示板
長崎西高14回生同窓会トピックス

似合わない「反面教育委員」?長崎県教育界雑感 No.3(田中直英君コラムより)

平成21年10月〜22年7月の間、県教委HPに連載した素人の駄文です。
・・・・・も山の賑わい!! 当HPの面埋めに!ご笑読下さい。(田中直英)

「校長力を期待する」

少子化の波は地域に、学校現場に、子どもたちに大きな影響を与え今後も引き続き、複式学級を有する学校の増加や学校統廃合も進められる事態が予想され、教育に携わる私達の責務は重い。

私立学校は淘汰の時代と言われるが、公立学校においても子どもたちが保護者が学校を選ぶ時代、そう認識しても過言ではない。

通学利便な立地的有利性や、過去の実績、培われた校風等が選択の部分である事は承知の上で、学校は日々変化し進化、或いは退化していく事も認識しておくべきであろう。正に学校は「校訓」を基本理念に、時代の、地域の変化に対応し進化した学校のみが生き残る。過激と御批判を頂くかもしれないが、そのような危機感は必要だと考える。その視点でみるに「校長力」は大事なキーワードといえよう。

「教育においては結果確認に時間がかかる。」校長の任期は2年、3年、4年、5年…、その積み重ねの中で学校は変わり、時代に、地域に必要とされる学校として生き残っていける。「校長力」が更に問われる時代との認識を共有したい。

11月16日、本コラム山崎委員掲載の「『校長の想い』を聴きました」。課題を抱え問題解決とそれぞれに思う学校創りに悩み挑戦する校長先生方の御努力、精進は「校長力」の難しさを我々教育委員に教えて頂きました。

敬意と共感を覚えた二人の現役、一人の元校長先生の校長像、校長論の抜粋を御紹介し、これからの時代が必要とする「校長力」を考えてみたい。

●中島先生(現長崎西高等学校 校長) 〜「長崎県高等学校長協会会誌」第42号から抜粋掲載〜

良きにつけ悪しきにつけ「校長が変われば学校が変わる」「校長が学校を変えた」と 耳にすることがあります。正確には生徒に変化があり学校が変わったという事。校長の教育理念や思いが生徒に変化を生じさせ、その理念や思いの差が結果となって良くも悪くも学校が変わる。

現実の厳しい状況、将来への危惧、引いては具体策に課題があると考えた方が正鵠を射ている。「校長力」とは 現状を精密に分析し、より深く理解することによってそれをベースに将来の理想を実現すべく、その具体策を現実に展開する力が必要かと。

社会の現状の一端、教員養成、不祥事防止対応など学校や校長の取組は、少子高齢化、価値観やライフスタイル多様化の中で5年、10年先を見据えた取組は充分であるか、自らの改善策を考えたか?これ迄の「校長力」について、大いに反省しなければならない。

将来における望ましい社会に対する学校現場の責務を考えるならば「校長力」を真剣に考えるべき時期はまさに「今すぐに」である。

ギリシャの哲学者クリシッポスは、「現在はその一部が将来、他が過去である」と述べているが、教育においては、結果確認に時間がかかる。だからこそ「校長力」の向上が、「今」求められている。「今が大事、今を大事に」なのである。

未来からの留学生を立派に育て、未来に送り返す為に、お互いの「校長力」を向上させようではありませんか。

●安藤先生(現 北海道白老町立緑丘小学校 校長) 〜ホームページ掲載内容から抜粋掲載〜

「かんどうのある学校」創りを通して「校長力」を

私の目指す学校は「かんどうのある学校」です。 子ども達に「感動」を与える学校 教職員が「歓働」する学校 地域・保護者の「汗動」に支えられる学校

教師と共に学びあう校長でありたい(アクションプラン)
地域と学校を繋ぐ校長でありたい(    同     )
保護者のニーズを受け止める校長でありたい(    同    )

私の学校経営の基底は、「学校力や教師力は(校長力)の鏡である。」 部下がついてくるかどうかはリーダーの苦しんだ量に比例する。

●山崎先生(元 三和中学校 校長、現 県教育委員長職務代理者・活水大学教授)
〜「教育ながさき」平成11年12月号から全文掲載〜

抜粋 校長論 歳末。お歳暮にかえ、「わが夢見た校長像」を一筆進呈する。

「泉のような」

数々の体験と思索が醸し出す教育への識見と情熱とを胸中に湛え、出会う者の汲むにまかせて尽きず、ふれあう人たちの活力を甦えらせ、教育の夢とロマンを感じさせる校長。 常に自らを高めようとする不抜の志を、心底にふつふつと湧きたたせておきたいものだ。

「遠くを見ている」

激しい潮流の中で、一校の舳を立てる視界の広さ。人々が木々を見る時に山を見、谷を眺めて大局の動静を察する、透き通るような眼力を備えた校長。 多岐多様な内外の事象・状況を、わが仕事の視点から深く読みとる知力が求められている。

「肚の据わった」

あずかった子供たちのために何をなすべきか、自らに課した責務において動じない。
職員を導き、任せて見守り、その結果に責任をとる校長。
新奇をてらって浮動せず、教育の不変の務めを見すえて歩き、それを平凡・固陋と言われようと平然たる人。・・・・・少なくなった。

「温顔の校長とは」

学校を自分の懐に抱く職である。暖かく慈しんで抱く者でありたい。そのうえで心外なふるまいがあれば、静かに、ぴしりと諭すがよい。そんな人が、私は一番怖かった。「怒」と「恕」とは、よく似て非なる文字である。

「虚実を見抜く」

生きものである学校。そこで起こる様々な事態の本質・根っこは何か、枝葉や余波はどれかを見定めて対応する冷静さ。 同時に、その人の前では嘘がつけないが、本心でぶつかれば動いてくれる、純情をもつ校長。

「情理そなわる」

理路整う言葉の奧に人間の情愛が漂い、言われることが頭でも分かり、心でも肯ける人。 校長の威厳などは、繕って身に付くものではない。教育は人間がするものだということを、本当に分かっているかどうかだ。

「終わりに」

3人の現役及び校長先生の時代を超えた「校長論」「校長像」「校長力」への想い、情熱、実践を抜粋、全文含め長くなりましたがご紹介させて頂きました。それぞれに考えさせられる、示唆に富んだ「校長力」への投げかけであり、長崎県の教育現場で、広く教育界、県民も巻き込んだ「校長力」向上のきっかけになれば嬉しい思いです。

「校長力」の向上は長崎県の子どもたちの為に重要であり、他県との差別化、先進化は、「教育立県長崎」にも大きな意義があると信じます。

  

「校長力を期待する」一方、私たち教育行政に携わる教育委員会は、「校長力」を発揮できる環境を整えているのか?各種通知文書、各種調査、アンケートなど本来の校長としてのマネジメントを阻害する案件を精査し、軽減する努力は充分か?また、教師が子どもたちと向き合う時間を充分とれる環境を整えているのかを検証し、その課題を解決していくことが、私たちと委員会事務局の責務と認識したい。

最後に掲載(抜粋・全載)をお許し頂いた3人の現・元校長先生にお礼申し上げます。

平成21年11月27日 教育委員長 田中直英

 

2012/10/9  田中 直英

長崎西高14回生同窓会トピックス一覧
Copuright(c) nagasakinisi high-school 14th students dousoukai All Rights reserved. produced by arttech