※長文ですので、読みやすさを考え、前半・後半に分けて掲載させて頂きます
縁(えん)のはじめは 学舎の風
めでたし、学友の黄綬褒章ニュースの祝意飛び交うなか『掲示版』に、とてもいい言葉が花開いています。
投稿[89]EDYさんが、文中・・・他の人の模範となる・・・といっておられること。しかも全文「簡にして要」。
そのハートに見習って、本「花の青春〜」のページも、少しでも、何か有意義な側面がほしいものだ。
と、思えば、ますます緊張して、昔のお見合いならそっと、うつむき恥じらって、畳に「のノ字・のノ字」の場面です。
この人、女性でしょうね。男の人だったら、もうそれだけでこのお見合い、まとまらんような予感がする。
そう、私たち花の14回生は、ありがたい事に男女共に、この奥ゆかしい女性の心は曲がりなりにも理解できる。つまり、古式と現代風の文化のターニングにいる世代です。これは貴重な世代体験ではないでしょうか。この世代の上はちょっと古いが、大友柳太郎の人名の意味がすぐに通じるし、世代の下また横には「赤い夕日が校舎を染めて・・・」やら「潮来の伊太郎・・」やらの御三家流行なんとかの全盛で、説明しなくても、双方が共有できる、そんな「世代の文化」があるのです。
私たちは、日本の高度経済成長時代の波がまさに高揚して始まった、つまり日本全体が、何やら明るく、健康的でスイスイスーダララッタの歌の調子の気分そのままに、その時代のリアルタイムを生き、それぞれに夢を抱いたり、蹴飛ばしたりして、そこから世の中に向かい、遅刻坂から巣立ちました。 その延長線上の卒業50周年後の今。これはもちろん決して我らだけの力ではなく、前後に母校を次々と巣立った沢山の同窓生方の重層するパワーの絆に支えられ、また互いを総合し合いながらも、この世代の友情の流れ自体は絶やさなかった。
それが、当ホームページの立ち上がりの意味でもあり、またはっきりと目に見える形で「世代の持つ文化」の実在を示します。
それが、「古稀」を迎えている。 だからお互いの話題が古くても、新しくても、その内容において「時代の幸運」に満ち、世の経済成長期という豊穣の恩恵を実感して成長できた世代です。ありがたく、、誇りをもっていいし、感謝の念をもっていい。
「何(いず)かたのおわしますかは、知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」、とはそれのこと。あらためて私たちは大変幸福な青春時代に、同じ学舎から育って社会に出られた、それも親の恩・師の恩・社会の恩。
それが今や、古稀の世代となって、人生をとりあえず、一呼吸して振り返ってみると・・・・。
そうすると、なんか知らん、よくここまでお互い無事に生きられた、感謝と報恩への感慨も起こり、それなら、ささやかでも、周囲に対し、何かしらん、「何かせばいかん」 。しかし、 何かせんばいかん割には、あんまりやぐらしか・せからしかことはしとうなか。それなら、それが何かは知らねども、自分でもできることは、してもよかたい・・・・という気分の一つも起こる・・・ところです。それが年齢相応の感慨にちがいない。ちょっと前、中学校の横の通りを歩いていたら前を歩きながら「俺も年取ったなぁ」としみじみ言う男の声がして、あらためてその声の主を見ると、中学生だったよ。 ッたく。そういう例外ケースもあるにはある。
(後半に続く)