◆昨年12月25日の読売新聞に「長崎から世界遺産を」のタイトルでカラー全面広告が掲載されたことをご記憶の方も多いと思う。これは「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録を目指す県と関係市町村が昨年11月24日東京で、文化庁長官、中村長崎県知事、他3人の有識者を招き、「世界遺産シンポジウム〜キリスト教文化の密かな継承〜」を開き、その時の基調講演やパネルディスカッションの模様を要約してPRしたもの。
◆世界に類を見ない布教の歴史を物語る「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は2007年1月ユネスコの世界遺産暫定一覧表に登録されているそうだが、最近は登録数が増えて、最終認定には厳しいハードルが待っているようだ。現在構成資産は平戸2、五島4、佐世保市黒島1、西彼杵半島2、長崎市1(大浦天主堂)、島原半島2、天草1の計13の資産で構成されているが、その価値の証明が求められている。
◆激しい弾圧と250年間の潜伏期間を経て、日本でキリシタンの信仰が再び社会の表舞台に登場したのは幕末1865年の「信徒発見」だった。またこの年に大浦天主堂が完成している。幕府は西欧5カ国と修好通商条約を締結していたので、キリシタン禁止令は有名無実となっていたが、明治6年(1873)、正式にキリスト教が解禁される。その頃から晴れてこれらのキリスト教教会が続々と建設されたものと思われるが、県は「信徒発見」から150年を迎える2015年の世界遺産登録を目指して、幅広い理解を深める努力をして、さらなる支援と協力を訴えている。
(左は堂崎教会)
◆たまたま2008年10月に初めて五島(福江島だけだったが)を旅行した。その際、煉瓦造りの「堂崎天主堂」はじめいくつかの古い教会を訪れ、苦難の歴史の片鱗に触れることができた。その時は世界遺産候補の教会群見学というよりは、素晴らしい自然、美しい高浜海水浴場、豊かな釣り場、さびれつつある五島藩城下町の姿を憂い、そして何より圧巻だったのは高台から見下ろす夕暮れの大瀬崎灯台だった。その旅行で感じたことは観光資源としては抜群なものを持っているにも拘らず、離島の置かれたあらゆる面での不利な条件に、国の離島支援策のお粗末さを感じざるを得なかった。(上は井持浦教会堂ルルド)
◆もし、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が正式に登録されるならば、日本で13番目の文化遺産となる。そうなれば国内はもとより世界中から人が訪れ、改めて五島のもつ良さが認識されるだろう。その経済効果は計り知れない。問題は価値の証明と説得もさることながら、地元の盛り上がりも重要だろう。長崎在住の同窓生の皆さま、現状はどうなっていますか?
(夕暮れの大瀬崎灯台)