花咲く、校長先生方の愛情いろいろ
百花繚乱の季節なれば、まずは花の話、実のなる話から……。ナーンちゃって。
狭い住宅地のあいだの道を、春の陽気にふわふわ気分最高で歩いていると、一瞬左手の若葉青葉の若木
からチラチラと赤い実が見えます。神々しいまでに光あふれて赤く可愛い実です。
エッもうグミの実の熟する季節?と、怪訝に思い、ちょいと自分をひねくれて、季節はかくも早く通過して
先へ進んだかと、もの悲しくドキリとしました。毎度落ちこぼれ人生の再確認みたいな。
それはなんと思いがけず、サクランボの実でした。
打ち明けると、サクランボの実こそ、私のもっとも愛するもので、花なら花海棠、香りと色を眺めた後でパクリ
と食べるなら桃の実または蜜柑。しかしいつまでも眺めていたくて、その可憐な姿、下向きに頭を垂れて、謙虚で神々しい風情に胸を打たれては、多分生涯に恋うる「サクランボ」です。喜んだのなんのって。しかし、ということは過ぐる2月の頃だった、もう桜の花が咲いているのかと、同じ場所の同じ若木にちょっと小振りの花を見つけたところでした。その時思うに、今年の春は半月早いというし、ここは住宅地にあって白い壁に三方囲まれ、日当たりも良くての早咲きかと。おまけに桜の国・日本の国土では、事実上春夏秋冬の一年中、桜の花はいつもどこかで咲いているそうです。
変種・亜種・改良種・突然変異に早咲き遅咲き。七重に八重に花咲いて、こりゃいつまでも花咲かないのは
自分だけだ、最近は万が一の宝クジにも当たらないしと、実の一つ無き身と悲しむのでありました。
あッそうだけど、先日は珍客にして尊客をご案内したある神社では、私自身が御神籤「一番」に当たりました ぞ。それは−−−大吉。ウッソーと思っているでしょう、証拠があるのだから。これぞ験の証拠。
『朝日かげ たださす庭の 松が枝(え)に
千代よぶ鶴の こえののどけさ』
これはまためでたく、今年新入生の西高の一年生に幸運を振り向けて、進呈したいようなものです。
ただし『学業 怠らず努力めよ』とあります。神様がそう御告げなのであります。 …… 良くできてる。
そうすると一番先に蕾をつけて、知らぬ間にもう赤い輝く実をつけたのはあの御さくら様でありましたか。
お見事、お見事。よーく立派に無事に万花に先駆け実って下さった(同じ薔薇科の梅・桃の実はまだ青い)
話はちょうどその頃のことでありました。
一通の長崎西高の名がまず目に飛びこむ、大型の茶封筒の郵便が私のところに届けられました。
え、14回生にはホームページもあるのに、わざわざ何かなぁと、あらためてみると私共の先輩方「第9回生同窓会」の『ここの津会』事務局からのお便りです。しかも直接の差出人のサインは元・西の校長先生である、小山暁美先生からのものでした。ちなみにその奥方は、私の中学からの同窓生で、その奥様のお名前も並べてあり、それでまずまず温かい思いでほっといたしました。何たって学校関係の先生方からとなる0と
生徒は多分永遠に緊張する宿命で。宿題を出し忘れたかなぁ、(驚愕の伝説あの校内イベント用に)市の公園の木を切ったというのは関係ないもんね。……などなど。
それは、これこそ思い出の、我等が放課後にお世話になった当時の「うどんの西川」についての、今回記事
掲載のご案内でした。なんでかというと、私がかつて西高創立50周年に記念発行された『西高五十年史』
に14回生の名で寄稿をさせていただいたご縁によるものです。当時も今も、卒業生の西高の思い出といえばまず遅刻坂でしょう。それに真面目な授業中の14回生の様子。「運動会」の仮装行列やらうんぬんのあと、さっそく、放課後の「うどんの西川」の話を書いていたのです。これを書かなければモグリ?ですモンネ。
その事に関して、この大変に立派なカラー写真入りの『ここの津』誌は、誌上にて−−編集員さるく記@と して−−『西川うどん屋』今 というレポートをされており、それをきっと「懐かしいだろうから」と、わざわざお手数をかけて、後輩である私の(というより、14回生)の手元まで、送ってくださったのです。 いま考えたついたのですが、思えば、当時の校長先生も西川に寄らしたとやろか。一度もお店で先生に ばったりという記憶はないのですけど。あれば『坊ちゃん』の近代版になるとこやった。惜しい。
2月の早く咲いている桜の花とは、その頃のことでした。
それなら何でそれを早く「とらんぽりん」に書かんやったかといわれそうですが、そこはアータ、同期の方々はまさかの寒中水泳だし、受験生は受験中だし、現・校長先生始め母校では先生方も在校生も御一同は愛情の神経をすり減らして「戦場」におられるのだから、温かい放課後の「うどん」の話などできなかった。とばい。
その『ここの津』誌は、さすがに私達のご先輩として、また元・校長先生としての御立場からのいうに言われぬ薫陶のしからしめることで、中にたくさんの示唆を含んでおられます。真っ先に私はそこから多くの今後の当ページで取り上げたいテーマを見つけました。同窓生の交流について、人生の姿として、年齢・健康をはじめさまざまのテーマです。そこであわてず、それをよくまとめるか考えるかして順々にここ14回ホームページに、ゆるやかに発展させて展開していくつもりです。もちろん面白いお話がありますが、それは次回に。あんまりいきなり校長先生方に関わるお話がおもしろくても、もしや不敬ではあるまいかと我等は思慮する。
14回生今や充実の年代・世代。なさねばならヌ社会的な存在感というのがある。とばい。
あのサクランボちゃんに励まされて、私はこの2週間ばかり休んでいた水泳に行ってきました。やるぞ、と。
わずかなわずかな私的な体験ながら、できるだけ継続して何か体を動かす習慣をつけようと努力していますが、その体験を通してさえ、西高が運動も学業も両立して充実的であろうとする姿に、ここから共感し声援を送ります。なぜなら執筆のような、まず机上の仕事の典型の一つに思われる仕事も、先々といわず何より健康な体力から始まります。人に言われる、話法・分裂気味の私はまずその克復の為、精神統一のためにも、体力から入るのですが、それがその、いつまでたっても簡単にいかず苦労します。泳ぎに行く決心がまずなーかなか。プールの休日は心底うれしい。こちらは行きたいのだけど、ダメなんだと。……あれはどういうものだろう?? 大昔、台風がきて学校が休みになったくらいに、うれしい。
数年前は年間40q、毎回1回につき1qを厳守して泳いでいて、2年間風邪を引かなかった。で感謝して
これからもぜひ継続しようと思っていたら、先にプールがつぶれた。(何やら行政改革で)
時代の波が次々と邪魔する難題を克復して、やっとr新しいプールをみつけたところで、ブランクの数年で
体力はガクッ。そんなら無理をしない事と、週2回で毎回6〜700mに設定したものの、以前のプールはレ
ーンの長さが50mレーンが主だった。10回泳げば自動的に1000になった。猿にもわかる。しかし今は25mだから、話半分で実際はその8掛けしか泳いでいない事になるし、第一、泳いでturn回数を数えているうちに数がこんがらがって、何回かわからんようになる。つまりそのturnする二割で、距離のズル休みをしている。ま、そんな訳で、ゆっくりゆっくり泳ぐことにしたら、下手ぶりも誤魔化せて、いいもんです。では。
次は基本的に西高の男性・讃歌(褒めるとバイ)を底流にしたテーマを。そして……校長先生の……。