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長崎西高14回生同窓会トピックス

『花の青春』とらんぽりん13

「 ガラス戸 」

つつぽつ・ぽっつん 雨が来る
素焼の瓦が目をさます
マキの垣根がさわぎだす
猛犬どのはシュンとなる

雨の季節に雨のふる
紫陽花うなずく二度三度・・・
つつぽつ・ぽっつん 雨になる
  (詩/ながた みほ)

いつまでたっても上手に送信できない自分の「投稿欄」手配ぶりや、画面がしばしば行方不明になる怪しさ。それでも諦めない・めげない、なんとかホームページへすんなり参加したい、気持ちは前へ進みたい。
今回は、ワープロのフロッピイに納めていた中から、冒頭の詩作品を、えっちらおっちらと、このパソコン上のページに掲載する試みをいたしました。川を渡ることで、なんか先の景色が見える境地になりたかった。
ホームページについていえば、よくまぁ、次々と、未体験・送信失敗のケースが自分に立ち現れてくるもので、まるでモグラ叩きです。パソコンに目があって、こちらを見張っており、遊び半分に「弱者いじめ」しているのではないか、とシャクに触ります。ま、落ち込まないで、いつか晴々と送信ベテランの成功者になるのである。いま落ち込まないで、いつ落ち込む。でしょ。
それに、落ち込むときは、全身で落ち込むのがいい。

『花の青春』とらんぽりん12、の前回で梅雨のことを書いた頃は、九州・長崎や関西方面は30度を超す空梅雨系の夏だそうですね。私は勝手に、もう日本列島の大部分は雨の時期だと思い込んでいましたが。こちら関東・太平洋側は、いま梅雨らしいじめじめした毎日で、洗濯物のことが気になる毎日です。
そんな時に、新聞記事で、北朝鮮の梅雨は7月末くらいからだと知り、ついでに北海道は基本的に梅雨がないことも思い出しました。北朝鮮の気候風土はともかく、北海道の梅雨無しについては、さて日本「五季」説はどうなる。 これには私なりに説明がつけられます。

日本は美しく南北にまた東西に「弧状」をなす、長い国です。
亜熱帯から亜寒帯まで,豊富な自然気候と、国土の60〜70%は森林の恵みにある、豊穣の国。しかし案外その事に気づかないで、外の国ばかり褒める人々が多かったものです。
本年は出雲大社や伊勢神宮の遷宮などを機会に、(残念ながらもう随分と荒れ放題の国土になりかけていることに、ようやく気づいた機会でもあったにせよ)、少しは日本の古来の伝統や伝承技術の希少価値(世界的な希少価値)に気づく人も増してきた最近です。もっともっと早い時期から気づけば良かったのにと思えますが、それこそ「それにつけても……」で、先立つものを優先した挙句の社会でありました。

「五季」も、この南北に長い「弧状」の列島のゆえに、生じ得たのだと。
南国、温国、北国または雪あり、台風あり、常夏の地帯あり、最近は竜巻まで起こり始めて、何でも観光体験できる、やはり「五季の日本」といって差し支えないと思います。
残念ながら地震も津波も火山噴火も時として起こりますが、逆にそれなくして富士山の景も数々の温泉地と、その効能もあり得なかった。そこは、砂漠がいいか、国土の塩湖化がいいのかと、比べれば、贅沢というものです。
そんなわけで、西日本や九州また長崎も、なんとなく全体に「梅雨の気候」であることを前提に、ちょうど折から「雨時のうた」つまり自作の「詩」をここで紹介させていただきました。

それでまた思い出した、投稿欄での時間切れにおびえて、(先頃、この欄で教えてもらったように)「メモ帳」に先に書いております。すると時に、段々と気合が入ってきて長文になり、ハテこの内容はトピックス欄向きか、それとも分段して投稿欄向きか、と自分でしばしば内容判別に混乱が起こります。一連の焦り始めのそんな時には、まず、ここらで一段落、さてと、とりあえず、まず「保存」にかかります。
しかし、です。しかし。
ここが問題。それがアータ、どこに保存したか行方不明になるから、話が振り出しに戻るじゃありませんか。
落ち込むときは十分に落ち込む……という「気の持ちよう」がなかったら、今頃パソコンと抱き合い心中です。
で、行方不明で「家出」の部分には、泣き泣きも良い方をとる形見分け、に習って、その部分部分を継ぎはぎする、「貼り付け」作業に移ります。 これが、また出発点の書き始め場所が「メモ帳」だった場合、すると、またまたエラー表示、「そんなにいっぱい書いても、作業領域が足りません」と。それなら先に言ってくれ、もうすぐ時間切れだというのも……。フン。

ともかく、どううすりゃいいのか思案橋。そこで、パソコンメーカーに訊いてみると、……「メモ帳」は単なる作業台ですから、本格的に多量の書き込みをする容量はありませんだって。ついでに、メモ帳とメモリーは違います、なんて余計なお説教まで言われる。
だって仕方がないじゃないか。今まで日常生活では、電波上の「メモ帳」なんか使わなくても、放置していて逃げもしないノートや原稿用紙に、ゆっくりと三千世界のカラスを心配せず、ペンで書いていたのだから。フン。

気をとり直して、それ以後はできるだけ作業の途中でも「保存」の回数を増やしていく。その結果は、切れ切れに(どうやら、保存されて)分割されている部分を探して、最後に「コピー」と「貼り付け」を重ねて、一件にまとめます。こうやってエラーだ、時間切れだと宣告された回数の分だけ、心底くやしがってやる。負けない。
こういう時には(ふだん無い)知恵とお金が偶然有っても、なんの役にも立たないのだ。「やる気」は知恵でも金権でも買えない、役に立たない。ただ、ただ悔しさだけが、のちの再起の起動力になる。
ひたすら、失敗にめげない。負けない。そのかわり、落ち込んでも徹底して落ち込む。すると、元気もりもり。頭はパー。だから、だからこそホントの知恵がどこからか出てくる。なんかパソコンも一種のスポーツ根性ものの世界でありますよなぁ負けているのか、勝っているのか未だによくわからない相手ながら。
不思議なことに、人間は、水泳と自転車乗りの練習では、その一番最高度に到達した境地を身体だか脳が記憶しているものだそう。次回の練習からはその最高の練達点を再生できるのだそうです。よくできている。

(※なお冒頭の詩作品の詩題が「ガラス戸」です。末尾に名前を記していますが、これは書家の方の落款と同じく一種の著作権の明示です。ここでのお目障りは、ご寛恕のほどを。拝 謝) 権の明示です。よろしくご寛容くだ、はい。さい。

2013/6/18 ながた みほ

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