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長崎西高14回生同窓会トピックス

『花の青春』とらんぽりん 14

「時 間」

露のしずくは 晴れをまつ
松ぼっくりは 風をまつ
急いでみても 仕方ない
浜の貝がら 波のまま

ぽったりゆったり 時のまま
急いでみても 始まらない

磯じゃ船虫 往ったり来たり
何におどろく 海は和凪
       (詩・ながた みほ)

           

七月は「時間」という名の詩、ほんとは海辺の香りのお届けです。 和凪は、ナギ です。掲示板では、なんだか夏はやっぱりお祭りだという感じで、ホームページ・グラウンドがとても楽しくにぎわっております。

そして誰言うと無く「初期」が自ずからなる最近のテーマに……。初期は暑気であり、書記であり、かつ所期であるし「庶幾」ですが、なにより日常最近でも、「初期化」の言葉がよく使われます。携帯電話のメモリー・カード、パソコン、カメラのメモリーその他その他。
ちょっと内容がうすらボケてコンポツ化したような(ホントは相手(機器)よりも自分の脳内が霧の夜のロンドンのガス灯みたいな様子ですが、メモリーカードでもなんでも、相手の方はネズミがかじるか、ブランデーをぶっ掛けでもしない限り、通常は案外丈夫なものらしい。
だから初期化とは、「いっそ、仕切り直し」。「も一度はじめら、やり直し」「心機一転」「再スタートするぞ」の効果があるので、これはめでたい、望ましいことではありませんか。

我等は、みんな揃って古来マレなりの「古稀」で、なんだか「ドキッ」とするから、初期が後期に聞こえる。そんなことはない。初期は新規であり再出発、気分一新の願ってもない、人生と年代のチャンスでしょう。

文豪「幸田露伴」先生は(私はこの先生だけは、昔から大尊敬)で、この先生は第一回の文化勲章を受けられておられ、昔から、サァスゥガァーと大満足しております。このとき画家の植村松園先生も女性として最初の受勲者です。

は、いいとして、この露伴先生が「庶幾すべからざる言葉を使ってはいけない」とサラリと言っておられます。

庶幾の語は、乞い願わしい事……という雰囲気を持っています。したがって「庶幾すべからざる」といえば、基本的に「あまり好ましくない」とか「願わしくない」、または現代風に言えば「いいね」ではない意味。またちょっと古いが「お呼びでない」もので、そんなムードだから、そんな言葉は「使わない方がいいのです」と教えておられることになります。

それはそれとして、初期はむしろ後期よりは断然いいのだし、それ以上に年齢の古稀ともなれば、たまたま世間の会社などの組織からは、いったんはリタイヤした方々も多いけれども、だからといってオール初期(ぼけ化のほう)なわけはないのだし、むしろ、何かからもう開放されて実にめでたい社会的存在だと信じています。

スーパーなんかで、桃をいじくり廻して、結局買わないし、買う気もない若者(……でも、ハッキリ言うと日本の若者には、そんな姿は全くと言っていいほど見かけません)が、ある時、日本語で話さない連中が、とあるスーパーでキャベツの外皮ハデーに大雑把にバリバリ八個くらいグイグイ剥いて、中に虫が喰っていないか相談していました。それはむごいものでした。

その場で私は猛然・きっぱりと「お止めなさい」「これは商品です。それをやるならその全部を買ってから好きなようにおやりなさい」とこれはバァサン(鬼婆ァ)でなければ言えない強い言葉で注意しました。
これは年齢だと思います。私の気性でもあります。言文一致をできるだけ実行したいという庶幾もあります。

それより今こそ、むしろ私たちの世代こそ、後ろ向きにボケの心配なんかばっかりしない手、、もっとバリバリ派手なくらい、勇気や正義感や真の洒落っ気や、なんやかや「熟れた桃」なり、熟した年代ならではの芳香を放つべきだと信じます。
対するのが、より若い世代であろうが、庶幾すべからざる出来事を見聞する機会には、それにきっぱり対峙する。
それが時に必要であると。褒めるべきは褒める……ことはいうまでもありません。やさしい言葉、ねぎらいの言葉も気軽にかける。特に都会地……においては。

最近。以前の一年前に出会った散歩中の可愛い小犬が、こちらを覚えてくれていたらしく、見知らぬ私にも必死で尻尾を振ってくれたのです。「思わず、あらまぁ。大きくなっても小さいですね」と、咄嗟に思わず言ってまった。
これじゃぁ、褒めたんだか、けなしたんだか「悪いことをいったなぁ」と思った瞬間、「ハイ。もう五才です」って言われた。もちろん飼い主のオジさんに。(こっちもオバさんだけど。)失礼しました小型犬だったのです。初対面が夜だったから判らなかった。
アレマァ、褒めたつもりでも、これが人間さまのお子様だったら、おおごとだった。お犬様でよかった。

−−−−以上の事柄は、これは自分がふだんから勝手に思い、勝手に信じているので、おおいに反論・異論がおありでしょう。万事、〜危ないよ〜そんなことして刺されでもしたら、と言われる事の多い時世です。
けれども古稀は、人生で到達したせっかくの『人間の実りの時』であり、『心の自由の許される』時でもあります。世間の制約のもう一つ上層的な気流にきっていい時期というか。
とかく身体的な要素ばかりが人生ではない。身体は手当て・手当てして、騙し・騙しし補修しつつも、昔と違って現代は補修した方が強くなるいい医療の時代でもあるので、みんなでいきいき古稀こそ、自分を初期化しましょうよ。
なお私はまだ六十代の後期です。時間はこれから、たっぷりある、と考えて、あるいはそう考えるようにして、精神の初期化のこのごろです。あのワンちゃん。顔はタヌキのように黒茶、サイズは招き猫ふう。オトナだって全然考えなかった。5−1で勝手に4年分をの初期化していたことになる。ごめんね。

2013/7/23 ながた みほ

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