奉納演し物、
55年ぶりにおくんちを観ようと勇んで帰崎したが、あいにくの大型台風の襲来で延期。
中日とお上りの演し物が10日に4か所で披露された。
あの懐かしのチンチン電車に乗って公会堂前に着いたのは開演の5分前、急いで席を探すと杠葉君たちは既に”モッテコ〜イモッテコイ” ?ショモ〜ヤレー” ?ヨイヤー”の掛け声の練習も終わって開演を待つばかりの余裕のてい。
予定の時刻に最初は丸山の本踊りが始まる、さすがに芸者衆の踊りと鳴り物はスゴイ!
長崎ぶらぶら節の時は観客全員が手拍子をたたいてのっけから最高潮!
その後もおくんちの歴史研究家といわれる”越中さん”の軽妙な解説にのって傘鉾、川船、
阿蘭陀漫才、御朱印船と続きトリは鯨の潮吹き。これは7年に一度の演し物とかで
2020年の喜寿の同窓会まで待つことになるが、元気でいたいもんだ。
演し物の途中で各踊り町の名前と演し物の図柄を染めた手拭いが観客席に投げ込まれたのを
空中高く手を伸ばしてゲット!
話によるとなかなか入手できないらしいが、これも一番前のしかも正面席を予約してくれた田中君のおかげと感謝。
お上りを追っかけ、
3時間に及ぶ演し物が終わって商工会議所の代表として各踊り町のご挨拶を受けていた渡辺悦治君と役員席にいた田中君に合流。近くの竹林という中華料理店でチャンポンと皿うどんをご馳走になる。やっぱり長崎んとはうまかバイ!
店を出てしばらくすると田中君が誰かに電話している様子?
お上りの行列がもうすぐ浜市アーケードと知るや、脱兎の如く走り出すも満腹のお腹が重いこと重いこと、、、。
急げ急げと田中君の先導で行列の脇をすり抜けながら文明堂前でやっと先頭に追いついた!
馬に乗った神官、三台の神輿、正装した踊り町の大人や子供たち。
船大工町とお旅所の世話役代表として沢本君が神妙にまた堂々と行列の先頭を歩いていた。
お諏訪さんへ、
お上りが過ぎると寺町方面へぶらぶらと。
古賀べっこう店の前では庭先回りの川船に出会う。まぢかで見ると更に勇壮だ。
中島川に沿って歩き久し振りに眼鏡橋へ。たもとの”喫茶店ELV”でひと休みする。
それからどう歩いたかは田舎もんのボクにはさっぱりだが杠葉君の後について、
日銀のレトロな建物を横目に立派な家が立ち並ぶ中を諏訪神社まで。
あのお諏訪さんの石段の急なこと! あげんきつかとはおもわんやったバイ!
本殿にお参りしておみくじをひいてから”月見茶屋”の木陰でひと休み。山の中腹のあたりが龍馬の亀山社中記念館だと杠葉ガイドの説明に耳を傾ける。
下る途中に小学校の遠足で来た動物園がまだあったよ、なつかしいな〜。
長崎歴史文化博物館の前の小路を下ると”田中旭栄堂”。
115年の歴史を4代目につなぐ店で名物の栗饅頭とお茶をご馳走になりながらしばし雑談。初代が福砂屋で修業されてカステラとは異なるお菓子、栗饅頭を考案して開業されたとのこと。ひっきりなしの来客に孫や長崎出身のご近所にもお土産を手にしておいとまする。
ご主人と田中さんが我々二人の姿が見えなくなるまでずっと店先で見送って頂いたのが栗饅頭の甘い味とともに瞼に残っている。
大波止へ、
一日に一万歩を目標にするという杠葉君の後についてぶらぶら(フラフラかも?)と市立図書館のそばを通りながら大波止まで歩く。
お旅所のまわりの屋台が残る出島埠頭は若者たちがいっぱい。その先の静かな場所で海を見ながら老人二人が石に腰かけて昔話をぽつぽつと。
正面には稲佐山と三菱のドックヤードがなつかしい。
静かな海に行き交う船の灯りが水面に白い光の糸を引いていく。
左手の岸壁には10万トンクラスの大型客船が白い船体をあかあかと照らしていた。
何だか老人二人には勿体ないような風景に時を忘れて話し込んでしまったようだ。
杠葉君の万歩計はとっくに1万3千を超えたらしい。
長崎ぶらぶら歩きはここらで終点とするかな、、、、、、。