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長崎西高14回生同窓会トピックス

「花の青春」とらんぽりん21

「南国の花」

この名 その花 その強さ
くっきり はっきり
よくぞ この名が 付けられた

情熱の花という 時計草
花びらは白い文字盤
シマシマ シマ馬もどき
カイゼル髭の 長針短針
きっぱり黒く 意志の張り

けれども誰も見てない 気にしてない

見よ 見よ これが時計草
今を盛りと時めく おかしさ 夏が来る

          (詩・ながた みほ)

ひょいと、通りがかりの道の垣根に、時計草の花の三、四、五、六ほど開いているのを見つけました。 知っている人は、知っている。知らない人は、あまりにも特異なその花の形をまだ想像できないのでは。 昔、私が出会ったパッション・ジュースというものに「時計草のジュース」と説明があって、それを飲んだ 時には、その名がいかにも南国風だと思った。そして、何かマンゴーのような南国の果実だろう位に しか思っていなかった。実際にその花をを見るのは近年です。なるほど、時計草(トケイソウ)というだ けのことはあり、特異な形をしています。
この機会に調べてみると、花だけ咲く種(パッション・フラワー)と、果実の成る(パッション・フルーツ)は、 同属ではあってもどうやら別種らしい。今年も、この花を見かける季節です。
関東は、まだ梅雨はあけていません。しかし、大雷鳴がもあり、もうすぐ いよいよ盛夏をむかえます。

 

田中様のその後、そして琴次郎さんご家族の思いがけないご災難。づっと気になっております。
焦らず、じっくり、どうぞ日々のご養生を。お大事に。
今回後半に、2年前の秋に黄綬褒章を受けられた、渡邉悦治さんから届いたご本の紹介をいたします。
ご本人の了解を得ていますので、安心してレポートできるのがうれしい。

それにつけても、健康は大事。油断大敵の我ら世代です。
いいお医者様ほど、自然なこんなアドバイスをされます。
「人の身体は、本当によく出来ている。自分で治るように、治るようにと闘っているんです」と。 当座のいろいろな医療手当てをして、その上での言葉でしょうが、本当に納得できます。それは人間に、 療養中は「焦らないで」ということを教える言葉でもあります。その人自身が、素直に、自分の身体自身 の回復力を信じて、無理をしない。病いは気からといいます。自分=私の体は、自分で治ろう、治ろう としている。頑張って、静かに一番に闘っているのだと。周囲もご一緒に温かく、どうぞ焦らずにと。

ここで妙な事を思い出しました。ある時、私自身ケガをして傷口の手当てを受けたとき−−。 「いよいよ、ここが赤チンの出番だ、なつかしいなー」と、キズ口を消毒してもらい、いよいよと赤チンを 待っていたら、「今どき、そんなものはありません!」だって。ワタシ遅れているのかなー。でも、アノネー、 ここで、赤チンを塗ってもらったら仕上げ感があり、、病いは気から・ケガは赤チンの気合いから、すぐ に治るような魔よけの赤の力が働くのだけどと。だったら赤チンを塗ってた昔の人はどうしたの。みんな、 気合いでケガを治したのかなぁ。七不思議。子供の頃は、赤チンをできるだけ派手に塗ってもらうと、そ れで本人の痛々しさも極まってきて、誰彼にとなく「どうだッ」と言う気分になったもんね。マイナーな優越 感ではありますけど。

しかし、今や赤チンなど名前からして全然知らない人が増えた。消毒も「アルコールは絶対いけません」 「傷口には水道の冷水を流してください」という場合がある。絆創膏のテープは使わず「家庭の台所の、 透明ラップで巻いてください」等ともいわれる。時代が変わっているのです。それが 新しい処方なのか、ただ、経済的で便利だからなのか、わからない。
万事、ケースバイケースではあるけれども、私たちの世代は特にその種の常識・知識の転換点にいて、 知っている人は知っている、知らない人はまだ知らないの、時代の新旧のグレーゾーン世代であるかも。 透明ラップの例のように、現代の生活にありふれた、いろいろと便利なものは、逆に本来は医療用とか 軍事用とかで開発されたものが、「こりぁイイ」というので、その応用として、日常品用に商品化されて いる物が実に多いようです。日本では時代遅れ扱いの蚊とり線香など、今や熱帯地域での国々では 神様ホトケさま蚊とり線香さまさまだというのは、とても理解できます。

話題は後半に入ります。

各ページ、カラー写真での人物紹介、B5版の豪華なご本が一冊届きました。
『ながさき人紀行』2 長崎新聞社発行。2011年5月〜2012年4月版。50人のライフステージ。 経済界から文化人まで、誇りに満ちた生きざまに拍手。……と表紙にあります。
その真ん中頃(112頁)に、『渡辺造船所社長 渡邉 悦治さん』
添えられたご本人の、筆者への一筆には、「なんで私が選ばれたのかわかりませんが」と、ご謙遜。 どうしてどうして、栄えある黄綬褒章を受けられた、我らが慶事の渡邉さんがここに載らなかったら、 他に誰が載るとネと、思いつつ、急いでそのページを開くと、これがまぁいい笑顔のお写真です。 これだけですぐに十分に明るいお人柄、威張らない社長さん、仕事には超厳しいが、面倒見のいい、 豪快な性格が判るというものです。ヘルメットをかぶって、作業服を着て、ニッコリ太陽の日差しを浴び、 背景には造船所か、船体の一部か、仕事現場の雰囲気が実によくて、長崎港の風まで伝わってきます。

写真説明には[木造の時代から造船の世界に飛び込んだ 船づくりへの情熱は尽きない]と。
タイトル[伝統の灯守る3代目 −存続の危機兄弟で打開−]
本文−−『近代造船発祥の地・長崎で、100年以上の歴史をもつ老舗の造船所である。その3代目の 社長を引き継いで30年。浮き沈みの激しい業界だ。存続の危機もあった。「よくぞここまで、としみじみ 思います。周囲のみんなに支えられてきた。人とも巡り合わせがよかったですね」』と続くのですが、先祖 の里は、日本画家・平山郁夫の出身地でもある瀬戸内海の広島県・生口(イクチ)島の瀬戸田町。代々、 海運業を営んでいた。この海域ではかつて、村上吸い群が一大勢力を誇っていた。
「その子孫かもしれません」

……言や善し……と筆者はここで拍手したくてなりませんが、同期生として痛快ではありませんか。 友達に、村上水軍の末裔のおっとゾ。やっぱり大物やったとゾ。どこに移ってきても、です。

「明治の初期、一族は長崎に移住した。高島炭鉱で産する石炭を長崎港へ運ぶ仕事を始めるためである」

このまま、もっと渡邉社長の伝記風を、直接に続けたいところです。しかし、あんまり元の文章を丸写しに 紹介しては、著作権上はどうなるのかなー、ちょっとここ筆者私も思案中です。さりながら、もう少し進む とサワリの部分です。高島炭鉱の石炭を長崎港へはこぶ仕事では、同業者も多く、運搬用の団平船((後 には機帆船も加わり)、その建造、修理の需要が生まれたと。その後お父上が(太平洋戦争の開戦前) 2代目を継がれた。そして、造船所の敷地の中の家で誕生されたのが、長男のご本人、次男の信治さん。 信治さんは専務でいらっしゃる。(こちらは私たちも知るお二人です)

「一卵性双生児で、うり二つ」「街で知らない人に、あいさつされることがよくあります。弟もそうらしいです」 ほほえましいエピソードはいくつもある(原文のまま)。

ここから筆者余談。かつて稲佐山のホテルでの14回同期同窓会の宴会の大盛上りの中、失礼ながらこの 時とばかり、ご本人?に直接、どちらがお兄様ですかと、突撃質問をしました。
すると「私が兄の信治です。信じてください」と確かに・確かに、そう言われた。だから以後私は安心し て頂いた名刺と共に帰京したものです。その後に、それは思い違い?だったと知り、恐縮至極。 このページで、いつか訂正お詫びをしたいと願っていたものです。しかしおかしい。??
今から思えば「あの信じてください」が逆に、どうも怪しい。間違われベテランのお二人の、もしかした ら、いたずらではなかったろうか。弟さんが兄さんで、兄さんが弟さんと、わざと????。 お二人とも、とても他人を欺くようなお人柄ではないから、腑に落ちないこと限りなしです。 渡邉社長の記事のご紹介は、次回にも続けます。
なお、同社長の授章の事は、惜しい。この『ながさき人紀行』の発行の直後の、同年の秋の慶事でした。 よかった、うれしかったです皆。社長さん、ありがとう。

2014/06/26 ながた みほ

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