「3代目は、少し異なる』のであります。 どうちがうかというと、初代と2代目とは、いささか、ちがうのであります。
ふつう、諺にも「唐様(カラヨウ)で書く三代目」と言えば、初代〜2代がマジメ一方で、しかし3代目は
あいにく家運を傾ける不孝者、贅沢三昧をして親を泣かせた、なれの果てをいいます。
せっかく初代と2代目は家業に精出し、一家の名を挙げ、いよいよ身代も落ち着いて商売も安定期に
入ってやれやれ。屋敷の敷地には、そこそこお蔵も建ち……という上昇気流であった。
ところが「好事 魔多し」で、こんな時こそ、周囲の多忙の下に甘やかされて育った3代目は苦労知ら
ずの坊ちゃん育ち。創業の祖父・父の艱難辛苦の汗と涙の蔵の中身を、次第にカラにしてゆく。
金に飽かして遊んだり、習ったり、の芸事・稽古事が毎日の習い性となって、おかげで、いっぱしに
おしゃれは唐風(つまりハイカラ)、趣味は高等にこれも唐様で往時のインターナショナル。
そんな芸域に達していていい気な旦那気取りのアンポンタン。
そのうち蔵と金庫の底もとうとうスッカラカン。家運は傾き、ついに持ち家処分の憂き目に会い、資産
売却のこととなります。
しかし「持ち家売却」の広報の文字だけは、そんじょそこらの教養人にも出せない達筆優雅の筆運び。 粋な唐様なのでありました。だから、落ちぶれても、悲しくもさすがの、唐様で書く三代目なのです。
ここから話は前回「とらんぽりん」、一ヶ月ぶりの続編となります。
前回は水軍のスイの字を、打鍵違いして「吸い」にしてしまいました。大変失礼しました。
同じスイでも、粋もあれば、睡もある、衰もあれば、酔もある。よりによって「吸い」とは何たる誤植。
酔軍ならまだしも士気の乱れ、戦勝の酒の飲み過ぎであるかもしれない。しかし「吸い軍」とはなにごとゾ。
弱いも強いも通り越しておる。誠に恐縮しております。
ここでいう3代目とは、栄えある(瀬戸内海の海の覇者)村上水軍の末裔たる、渡辺造船所社長さんの話です。 この方は若い時から、並みの3代目とは違っておられたのです。
各ページ、カラー写真での人物紹介、B5版
『ながさき人紀行』2 長崎新聞社発行。2011年5月〜2012年4月版。50人のライフステージ。
経済界から文化人まで、誇りに満ちた生きざまに拍手。……と表紙にあります。
その中頃(112頁)に、『渡辺造船所社長 渡邉 悦治さん』 全4ページの濃密なインタビュー記事です。
その文中に見つけたのが、冒頭の文です。
-----『祖父と父とは、茶道などをたしなむ粋人でもあった。
3代目は少し異なる。
酒は飲まない、たばこも吸わない。賭け事は嫌いだし、囲碁、将棋もしない。ところが、造船所は
起工式、進水式など酒を伴うセレモニーが多い。水とウーロン茶で2次会、3次会までつきあう。
「宴会の雰囲気は 好きなので楽しいですよ」』
ここの3代目とは誰か? 一瞬、常識?とは少しちがうので、よくよく前後を読み返してみると、これは
紛れもなく渡辺社長である。
それに、ドキッとしましたね。えっ、渡辺さんはお酒もタバコも嗜まれないとなると、あの時、西高同期の
宴会では酔っていたかも知れないのは、むしろ当方の側であったのか。と、余りの意外さ。
今、もしここが同窓会の会場なら、あたりを見回して、驚いて誰かに説明してもらいたい気分である。
長崎弁で言えば、どげんなっとっとね。です。
そう、私もこの記事を読むまでは、渡辺さんも、同期会での宴会場では、実に楽しそうなご様子なので、
てっきりそれはほろ酔い加減のおかげだと思って、疑いもしなかったのでした。
そんなー、今頃になって、「私はあの時もシラフでありました」なんて……。
それから、次に思ッたのはそれでは専務さんも、その「酒は飲まない」の口でいらっしゃるかどうか、新た
な疑問。こればかりは、専務さんご本人に尋ねるしかない。でもまたまた「私も飲みませんよ、信じて下
さい」と言われるかも。めっちゃ金はないが、滅法ひとの好い私は、またまた素直に信じてしまうかも。
その時は誰か側にいてね。そういう機会をいただくためにも、ご兄弟お揃いで、ぜひ秋の東京の同窓会
に、出てこられませんか。お祝いもかねて、お話が弾むと思いますよ。楽しみにお待ちしています。
交通手段はいくらでもあります。ない時は自家のお船で。
で、彼の趣味はと気になります。記事によれば……。
----- 読書は司馬遼太郎や藤沢周平など、歴史ものが多い。経営に関する本や偉人伝も好んで読む。たまには独りで スナックをのぞき、客がいなければカラオケを楽しむ。
おお、立派な粋人ではありませんか。安心しました。
----大学の3年生の時、川端康成の「伊豆の踊り子」を読んで感動し、友人と小説通りのコースを旅した。楽しい思い出として残っている。
この辺の教養は、長崎西高が、旧制中学の伝統を受け継いでいる文化を彷彿とさせますね。そして、記事に よると、本当に親孝行で、それはご両親の-----仕事熱心で、こどもの教育にも熱心だった、こども達は親 思いで、仲のいい兄弟に育った。-----
これは、同時に友達思いであり、仕事では同僚や部下を大切にする、心の下地ともなるものでしょう。
虚心なくそう語っておられる渡辺さんの言葉は素直に胸に届きます。そのご両親、とくにお父様は
----豪胆な男だった、日中戦争では武勲を認められ金鵄(キンシ)勲章を下賜された。
そして、戦時下や戦後も中小造船所の業界の幾多の苦労や揉め事にも屈することなく、リーダーとして、
毅然と対処されたという。お母様も、物に動じない「肝っ玉かあさん」で、時に弱音をはく夫(お父様)を
悠然として、励まされていたものだという。だからこそ
-----この両親からすると意外だが、「物事にくよくよするタイプです」と自己分析する。
「たたき上げではないので、本当の苦労をしていないのでしょうね」-----なんだそうである。
それが冒頭に紹介した「3代目は少し異なる」という話にも通ってきます。なるほど、くよくよしていたら 酒は飲めない、賭け事もできない、煙と消えるタバコの行く末も気になることでしょう。しかし、今や世は コンピューターの時代です。ご両親の時代のタイプとちがって、緻密に物事を計算し、連続、継続して常に 仕事に研鑽しなければ、現代の社会は気合だけでは乗り切れない複雑さがあります。その点で、3代目が ただの豪胆一方ではない異色さを、筆者は幸いだと感じます。
そのお父様は1982年(7月23日)の長崎大水害の折、遭難されたそうで、
----波瀾にみちた生涯だった----と。
そのお父様だからこそ、今日の渡辺さんの鋭意奮闘ぶりをさぞ喜んでおられます。ご冥福をお祈りします。
渡辺さんの高校時代とその後は、どうであったか、私たちの気になるところ。これはまた次回に触れます。
ちなみに、念のために、この本、『ながさき人紀行』2 長崎新聞社発行 について出版元に一言、私自身
挨拶の連絡お電話をいたしました。丸写しするのでなけれは、「いいですよ」とのことでしたが、そうは言
っても今のところ今回の、情報源が同書に限られているのです。お世話になるので、一言の挨拶でした。
地元にいれば、また別の角度の多くの有益名情報もあるのでしょうが、その辺が……。
よくある話で、かって一滴もお酒が飲めなかった人が、ある時、ほんの一滴から「お酒がこんなに旨かっ たとは」と言って、かなりの酒豪に急変の例。私たちは、これから3代目が無事、三代目をつとめあげら れるよう、温かい声援を送りたいなーと、人生の甲子園、野球ばかりが応援ではないと思うこの頃です。
暑さの盛りの時期です。皆様、お大事に。