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長崎西高14回生同窓会トピックス

『花の青春』とらんぽりん25

昔の生活、旧暦の世界では、今でいう「日付カレンダー」と別に「農事暦」が実生活では併用されていた ようです。だから、カレンダー的にはまだ春になっていないのに、農事暦では春となったりして(その逆 もありえた)それがちょうど年始年末の除夜の金がゴーンと鳴る時刻には、はてさて、たった今は「去年 (コゾ)とや言わん、今年とや言わん」で、半ば冷やかされて、和歌に詠まれたりしました。
現在と違って、1年が12カ月あったり、13カ月あったり、大の月だとか、小の月だとか、どうもその 実感が伴わずよく分かりません。

俳句では、その「去年と今年をつなぐ棒のごときもの」とあり、旧年と新年はちゃーんと一貫しているの だと力んだものもありますが。この二つにはもちろん「なんとかや、なんとかなんとかが どうとかして」 と前句なり何なりがあります。

どうでもいい事ではありますが、私は、自分では俳句(特に世の名句)は、一般国語的に見聞きしていた 結果、つい覚えている程度で、それでは俳句を自分でも作ろうという気持ちは全くありません。
ある時、口から出まかせの言葉が575で、たまたま季節を表す文字も含まれ、言葉数も合っていた…… だから俳句らしいのが出来た、という程度の経験です。
人様に、「あなたでも出来るよ、作って見たら」と勧められた事は何回がありますが、どうもその世界に は、難しい制約ばかりが多いようだし、第一、どんな名句が名句たるの所以なのかも実はよく分からない。 古池に蛙が飛び込んで、それはいかにも静寂な辺りの様子であるよ、と言われても、そうなのかなぁ。
それでは一句。古井戸に小皿落として年の暮れ…。これはいかにも、年の瀬の慌ただしい様子を表わすの だと自己流に言い張っても、どうも、認められそうにはない。そして、どこやらを訂正されても癪に触る。 芸術的・表現の自由とは、なんと煩わしいことよ、人それぞれ。好き好き。いろいろの趣味がある自由 にこそ感謝しなくては、ですが。

だんだんと夏目漱石先生の世界になって、「意地を通せば窮屈だ」、ただでさえ住みにくい世をますます 窮屈に狭めるような気がしないでもない。それなら川柳は、落語的でいいのかなぁ、わかりませんが。 川柳は川柳で、難しいのだ、であるにちがいない(すみません)。
俳句を真面目に呻吟している方々には、誠にもって言語道断の話でしょうが、お許しください。

「失念といえば 立派な物忘れ」という、川柳があります。
思うに、古稀を過ぎると、「ハッ?」といって耳をそばだて、「聞こえないふり」をしたり、「忘れたり」 「忘れているふり」をしたり、という、都合よく年寄りの効能特長を生かしても、許される川柳的なパフ ォーマンス術があります。これは使えます。使うべきです。年金の支給日を、失念したふりをして咄嗟の 難局を切り抜けるとか。あ、これは当ホームページの事務お世話方には、都合が良くない例えで、失礼。

以前に「形状記憶合金」「形状記憶シャツ」などと世に披露・紹介されたとき、ハタとひざを打った。
そうだ、そういう飲み薬を作って、自分または自分と相手がいっしょに飲む。さて、どんどん借金をして、 こちらが相手に借りた事は、相手が記憶しない、という効能をつける。悪質ではなく「人によって、効か ないこともある」とか、なんとか、いっぱい、処方の注意書きをつけて。
そこはご本人の責任で飲んで、と強調する。
こりゃぁいい、とまたひざを打った後、すぐ、首をかしげた。薬の飲み方と、効き時のタイミングが狂って 待てよ。相手がこちらに大枚を貸した事だけ記憶して、こちらも借りた事だけ記憶した場合…、どうする。 これは一大事になる…。そこで、なるほど、これがバカの考え休むに似たり、ということであるなぁ、形状 記憶止め。と反省・中止した。−−−という落語話を創作したりなんか、夢想するわけです。
もっとも、これに似たことは実際にあって、あまり物事を記憶と意識に留めない性格の人が、往々にして 喧嘩強い。そんな場面があるのです。対するに、いちいち細かいことも覚えている方が、相手の物忘れに 唖然として言葉も失くし、攻めの勢いも減じて、結果、泣き寝入り。
喧嘩は、先に唖然としたほうが、負け。すなわち、呆気(アッケ)にとられたら、負け。

まぁ、年の暮れともなると、せっかく生き抜いてきた、これらの年の功、古稀の効能をいかすべし。
「忘れたふり」も「よく覚えているふり」も、上手に使い分けるに限る。ここにさらに「まだら惚け」の 要素も追加ブレンドしたら、最強の形状記憶人生のon・offスタイルで、生きられる。
実にこれができれば仙人級なんですが……。

なんか落語のようでしょう。
もともと女の落語家は(昔は)いなかったが、落語家になりたいな、それがダメなら落語の脚本書きになり たいなー、なれるだろうか、などと考えた事も。
自他を問わず、面白い話や気の利いた出来事を周囲の人に伝えるのは、実に愉快で、今でもそんな話題に 出会ったら、その独り占めはもったいなくて仕方がない。そんな風であったところに、ある時ある機会で、 実際に(現実に)落語の名人であられた、先代〜先々代の三遊亭円生師匠や、その後にはお弟子の円楽師匠 にもお目にかかる幸運がありました。円生師匠の時は、ご自宅にて直接お話を伺える、貴重な体験でした。
そりゃあモー、江戸時代の風格あるお侍にお目にかかったような空気です。あるいは歌舞伎の名優の様な、 ピリッとして寸分の隙もない。しかし、人に接するに、春風駘蕩の風情。円生師匠は、踊りの師匠でもあられ たので、身のこなしの決まりかた、着こなしのお姿の気品など、申すも愚かでした。わが人生の宝物のひとと きとなりましたが。その節、御生涯を貫く修行の一環として、どさりという分量のご自分の、これまで、コツ コツと勉強をしてこられた「調べ物」のノートを見せて下さいました。
時代が時代だから、大変な「貧乏」な暮らしも通過しておられます。 人は、成功体験よりも、失意、零落の経験が、人を玉と磨くらしいのです。
そのオハナシの中に、「落語家と言うのは、世界に一つしかない職業だそうで、実に、ありがたいような、情 ない様な……」といって、笑いを取られたことがありました。零落の時にはどんな職業も、本人は「情ないよ うな」心持ちがする事と思います。でも、零落と感じるくらい、はたして、一般には自分の職業を突き詰めて 研鑽しているかどうか。自分の零落にも気づかないくらいの人が、なんか、いいなー。

昭和天皇、陛下の御前で、落語の口演をなされて、後にご褒美を頂かれたのが、師匠にとって、真実人生無 上の慶賀であられて、本当に感激しておられました。人ごとではなく、それは私(私たち)の感激・同慶の至り であると、感謝したことでした。お玄関にそのご褒美が清々しく、飾られてありました。

笑いは人生にいい。病気の時は、なおさら体にいい。健康ならば、もっといい。
ここに独楽吟の、真骨頂が生きていそうです。
健康な上に、両手になんとか・背中になんとか・前になんとか・懐になんとか。それを庶民の夢といいますが。

去年とや言わん、今年とや言わん、平成26年の歳末もより良くお過ごしありますよう
新年、平成27年も寿福多く、いいお年でありますよう。ご健勝をお祈り申します。

2014/12/22 ながた みほ

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