弥生三月に入り、すでに用意中の当欄原稿から、ちょっと手を離し数日するうちに、3月11日の東日本 大震災の記念日になりました(通過)。それで、この関連の内容にいたします。
時間が経つのが早いのか遅いのか、あの大震災からもう「四年目」になります。三年・目より、今年の、
四年・目の方が、事実が身に沁み入るように、感じます。
こちら広域関東に住んでいる身には、今わが指の上の爪を眺めるように、まざまざと当日・当時刻の体
験がリアルタイム、時間を超えてよみがえるのです。日頃、関東は地震が多く、昔、九州にいた時期には
経験したこともないような(いつもなら震度3くらい)が、日常的によく起きます。
したがって、再びの関東大震災への警告!ということが、長年あたり前のように関東では言い続けられ
ており、現在もなおです。当然。
そこで、四年前の3月11日の午後2時を過ぎ46分、あの時にも、ガタガタと来た最初は、これがいつも
の揺れで習慣のようになっている、「あッ地震だ」と言って、その場に数人いれば数人が、お互いに、一人
でいれば、テレビをつけたりして、一人で、そのことを確認などします。
つまり何らかの形でお互いに、揺れを確認しあい、少しでも客観的な情報を入手したいのです。ア、ホント
だ、誰かの気のせいではなかった…、と。
あの時にも、(筆者自身は)たまたまその時の新刊本の、最終入稿で緊張していたせいか、ワープロに向 かっていた、いつも以上に、その状況の記憶が鮮明に残りました。締め切り日は格別なもの。そこに…… ガタガタと来た一瞬、まず天井を見上げました。なぜ、地の揺れであるのに、足元の床などを見ないで、 かえって上を見るのは、何かの本能でょうか。天災といいます。雷、台風、火山の噴火など、太古からの 原始的な人間の感覚なのか、上を、空を見上げます。神の意志を恐れ、うかがい、図ろうとするのかも。 物は上から落ちて来るものだし、住居の構えが揺れるのだから、天井そして壁面やガラス窓を、その時も つい見渡して、瞬時同時に、壁面の時計も見た。時計の針を見て、揺れ続ける時間の頃合いをみた。
この時(四年前)。始めのガタガタは、すぐにガッタ・ガッタとなり、ガガガガとなり、やがてガッサ・ガッサと
変わってきたのです。さすがにふだんとは異常の度合いが違う。「あッ、ついに関東大震災がやって来た
のだ」、と、すぐ事態の尋常ならざるを受け止めました。これは、間違ってはいないのです。
あのレベルの大地震では、震源地の東北にとっては当然でしたが、同時に、関東平野にとっても十分過
ぎる「大地震」です。しばらく揺れを見ていて、さすがに(いつものように、何よりも、まず)玄関の方に行く
〜立ち上がって、ドアを開けて、自分の逃げ道を確保しようとした。その玄関を開けたとたん、(筆者の住
む)裏手の村の神社の大木に止まったカラスのギァギァァ鳴き騒ぐ声の大きさ。騒がしさ。うるささ。
カラス共は自分たちの止まる大木が、ゆっさゆッさと揺れ続け、ザワザワと木々の葉がざわめきめ、自
分たち自身の騒音に、いよいよ興奮して、激しく鳴きやまないのです。
もうこの時点では、完全に「ついに恐れていた、関東大震災が起きた」と、確信して観念…。さぁ、どうする。 しかし、こんな時にでも、おかしいもので、カラス共に向かって「ざまァ見ろ」と(→アラま。とてもじゃないが 乱暴で下世話な表現?!)しかし相手はカラス共だから、実際にこの通りに思った。収集の近所のゴミ袋 は食いちぎるし、せっかく熟れてきた秋の風物詩、絵になる赤い柿の実は、ことごとく喰い尽くす。憎っくき やつらめ。今こそ、やっと彼らへふだんの意趣返し、お前たちもこれで少しは懲りたか、という優越した気 分になった。いくら悪賢い彼らでも、これが理科では地震という事象だなどとは分かるめィー、と人間さま 絶対優位の気分。これも古代からの、人間VSカラスの飽くなき抗争史の結果だッ。コラッ、わかったか!
しかし、戻った部屋には棚から落下した大小の物が床に散乱…。筆者が、もし立ち上がらずに元の場所 にそのままいたら、大きく重い木製の箱も落下していて、ぞっとなる危ない状況ではありました。何かこの 時ばかりは、現実に神仏の天佑を感じ、ありがたい感謝でいっぱいになりました。鎮守の森の、神社の、 カラス相手に喧嘩していた間に、室内ではなんと元の位置から1メートルもぶっ飛んで、座っていれば ほぼ頭上を直撃下していた家具。幸いにもワープロ機は、その圏外にあり無事、でホッとしたものです。
もうひとつ。この時四年前の震災どき、即刻に一番恐れたのは、次の思いからでした。
緊急初動の組むべき態勢で、またしても、政府が判断ミスを起こしはしないかという、冗談ではすまない
憂国の(マジなのです)、思い。−−考えても見てください。思い出してもみてください。20年前のあの時。
振り返れば、阪神・淡路の20年前の大震災時には、おそらくその大地の振動が伝わって、不思議にその
ほとんど同時刻、いまより20歳若い私は、払暁にふと目を覚ましたのでした。まだ暗く、明け始める早朝
の時刻を、そのまま寒いのに起きて、その時、わざわざ寒い外へちょっとだけ出て、星がくっきりと凍って、
きらめいているその光を見つめたのです。その夜明け前の空の色、よーく覚えています。一月です、寒い。
早朝のテレビ放映はまだ開始していないチャンネルが多く、したがって(阪神関西の地震の現状はまだ知
るべくもなく))……適当にチャンネルを回していると、まだ暗い神戸の町に火の手がぼつぼつ上がってい
る映像が次第に報じられ始めました。何事だっ。
やがて、政府の責任者がこの時、のんびりと「犠牲者が2〜3人出ているようだ」と語った!
素人が言うのではない、一般市民がそう言うのではない、そう言う場合に「ワカラナイならまだワカラナイ」
というのが、責任ある言辞であるべきだ!!(文責、とうぜんここは筆者)これは災害時です。一体、その
後の大災害、惨状をなんと心得おる。よく腹を立てる筆者ではあるが、未だにこの時の政府の、のんびり
を許せず、根に持っているのです。 これを歴史の記憶という。
孔子もいわれた。「知らないことは、知らないというのが、知っていることナノだ」と。
なお、既に知っていることと、それを「公報する」ことは、また別の話です。しかし、これは災害時なのだ。
昔々見た、東宝の「ゴジラ」映画の中で、なんとか科学者が「まだ科学的に確かめていません」みたいな
ことを言って、ゴジラは目の前で暴れまくっているのに、「それでは遅すぎる」と、彼よりもっとエライ人に
激怒されていた。安全な避難がまず優先だと、この緊急自体に、ナニが科学的にもっと確かめる、か。
今回も(東日本大震災)、いやそれでは絶対困る、今度は、許さないぞという怒り。またしても「タイシタ コトナイ」ような初動の対応をされたら、それなら今度こそ、タダじゃ置かないぞと、国を見張るような 気合いでした。今回は昼間であるし、実際に自分自身も、関東にあって大地と共に振動ひとかたならぬ 同時体験をしているのですから。歴史の当事者!でもある。
その四年前の、この時刻(東日本大震災)の直後には、まだ関東では、テレビ報道を見ることが出来た。
刻々の報道状況に接していられた。しかし、まさか、あの時点で、通信網自体の断絶が実際に起こって
いるとは知らない。その時点で、多くは「その上空を飛んでいる航空機からの目だけが、言語に絶する
惨状」の全体を確認し、それがそのまま伝えられる、最新の情報であるのみでした。
物事の全体がつかめないということの恐ろしさ。この時の多くの報道は、全体がまだ不明だという状況
です。そんな中で、しかし、筆者が何より息を呑んだのは、
「※※町(村)は壊滅」という、機からの報告です。心底恐ろしい、壊滅という言葉。
『壊滅』などと、現代の日本社会でこれ以上に、絶望的な・断定的な・決定的な言葉が使われることがあ ってもいいものか、と、息を呑んだのです。
「壊滅」と「壊滅的」は、ちがいます。壊滅こそ、全体状況の把握された結果の報告です。中央政府への
個人的なわが不安感とは別に、すでにこの時、救助活動で自衛隊・消防隊を始めとする、実際の現場
で言語に絶する困難な大災害地で活動をされた、多くの義士の方々。
今だからこそ、そのことが、なんと頼もしく、有り難く、いくら感謝しても感謝したりないことであります。
『一隅を照らす、これ国宝となす』(伝教大師)。こうした方々、人々、皆さま一同こそ、国宝であられる。
以下またの話は、別の機会にゆずります。
そんな中に私にはまだ、結果を知るのが恐ろしくて、確認できないでいる、東北の知人ご一家の消息が
あります。昨年の夏、やっとその地方の市役所に恐る恐るお電話してお尋ねしたところ、ご返答は……
「実は、仮に同じ町内であっても、誰々さんのご消息はどうですか、という問いかけは、それ自体が、
大変苦しいこと」のだそうです。津波てんでんこ、という状況の中で、年齢の秩序(長幼の順逆)に助かる、
助かったという事情ではないのだという……。
ここはアウンの呼吸の会話でした。また元の町の地図で何丁目の……との問いかけでも、一切合切を、
海が持っていってしまったから、今となっては、その手がかりの付けようがないのだそうです。
以前に、筆者は、歴史書を読んでいた時、かの「保元・平治の乱」、平安〜鎌倉の時代の源平の戦い
で、後に平家物語を語って、琵琶法師が諸国を廻ったという、事柄、すなわちそうして当時の全国の人々
が源平の合戦についての総括で、誰しもの涙を誘ったということは、それが特定地域の特定の階級の
騒乱・戦争ではなく、日本国全体がその兵乱状態によって影響を受けなかった人は一人もいないのだ、
という事実を見なければならないという教えに出会いました。
これは時代の把握の仕方、また出来事のとらえ方において、現代の受験教科書ふうな、ただ数字の記
憶、用語の記憶といった角度からのみ見てはならないという指摘でした。仏教書の中だったと思います。
昔は情報がお互いに乏しかった、なんてことはないのです。昔こそ、事実の本質において、その伝わり方
が人間性において核心を突いていたというものです。
それを思うに、現代の東日本大震災も、日本人の誰一人「関係ない」、ということはないと考えます。 言葉に出すか、出さないか、ではない。みんな、全体を全体で受け止めているのだと。それはもちろん、 大小の地域規模に関わらず、とんな地方の災害においても、本質は同じことです。
−−−次回はもともと用意していた「花見どき」風情の寄稿になる予定です。一月遅れの春でも、日本中 はまだまだ雪深く、春の訪れの遅いところもあるのだと、思いを馳せつつ。