話はさかのぼり、二カ月以上も前のある時、筆者には頃のいいタイミングで、我らの「山姥」さんこと、
「まーちゃん」からメールがありました。マーチャンって、ダーレ、それは後ほど。
頃のいいタイミングって、おかしい?かな…とりあえず先へ進みます。
彼女こそ方言に関して、西高文化に関して、私の指南役(訂正がかり?)です。
ときどき、「あんたの長崎弁は、まちごうとるヨ」のご指南に始まって、最近は「カシオペアも知らんとね。
私は西高生なら、当たり前のごと知っとったよ」などと、軽〜くいなされた。エーッそーだったのかでした。
軽ーく、そう言われると、ひょっとして自分は西高の潜りなのかなぁ、とふっと転校生特有の一種の気後れ
と、土地勘のなさにうなだれる。ただし、夜空・星空のことは、単に私の一般常識のなさです。
省みれば、先年の古稀の同窓会の際も、確かに卒業したはずの母校に、今、どう行けばいいのか、凡そ
不案内でした。母校へとは限らず、近年はちょっとは住み慣れたつもりの土地の近辺でも、あっという間に
新しいビル、ヘンな建物、変更になった交通機関の乗り場などで、うろうろすることは日常的です。
これは以前にも書いたことですが、同窓会ではそれでタクシーに乗って、乗った以上は自信に満ちて言った。
「西高の遅刻坂の側に」と、強めに発音し行き先を伝えたところ、ガクッ。「長崎は坂ばっかりで、そがん坂
は知らんです」と来たもんだ。おまけに、あろう事か遅刻坂の「ち」に字にテンテンをつけて発音される始末。
おー、頭にきた。あれはもう完全に観光客いじめ?。もしくは別の理由かと?とにかく感じわるーかった。
という話を何げなく、まーちゃんにすると、ちゃんまろちれん無しい←(なにコレ。消すのが惜しい、妙な綴 りがパソコン上に出ている。独創的を通り越してほとんど、天才的なので、消去せず紹介いたします) 有史以前、古代日本語の突然の閃きか。現在、まーだ風邪がなおらない。脳がこわれたか。
で、タクシーでの話をすると、まーちゃんは、即座に「そんひとは、おっちゃけたとやろ」と、一刀両断。 こういう話は、ノーベル賞の選考におっちゃけた……というレベルなら、差し支えない。けど、こういう風 にサラリと言って、不自然ではない、ところが彼女の方言であるからこそ、なにか許されそうな表現です。 そもそも、そのメールの後のことながら、ご自分がかけて下さった電話の冒頭で、「山姥の○○です」とい う第一声には、たまげた。折しも、私はちょうど「まーちゃん」様についての話題を、当欄で取り上げよう としていて、それで「貴女のことを山姥さんとか、まーちゃんとか、紹介してもいいですか」と、念の為ご 本人に確かめたい、と考えていた矢先だったからでした。
『よかよー』
これですもん。なんと朗らかで、おおらか。
それこそ『溌剌(はつらつ)ということ』も立派な文化であり、その発信が周囲の皆を元気づけるものだ
と、最近私は強く感じ、同時に感謝しております。そういう幸せの空気をもたらす人徳のようなものに。
またこの機会に、思いがけない事、知らなかった意味と言えば、西高と星座のカシオペアの連動以外
にもまだありました。
彼女自身の自称「山姥」を筆者の私は、単純に、鬼ババの仲間くらいに捉えてところ、そうではなかった。
これは彼女が日本舞踊を長く修練されていることからの、日本の古典芸能・伝統文化でいうところの「山姥」
であったという話でした。なるほど、能・狂言・歌舞伎・舞踊の世界で、いくらでも見聞きする、あの役どころ
のヤマウバです。ありていに言えば、つまり、彼女は大変謙虚に、西高14回生という同期の流れのなかで、
いくら青春時代のチコク坂共同体といっても、それから○○年経っている、だから現役、在校生に比べれば、
そりゃぁ青春の若々しい容色にも、いささかの衰えはあるよ、と控えめに、日本文化に自分の役どころを借り
て表現されたということになります。
たしかに、日本でと限らず、女性は二・八(蕎麦じゃなかとよ、二×八の十六で、番茶も出花の頃合い)を
過ぎると、男性は、二×15になってさえ、やっと一人前と言われる、男女差別の世界文化の中で……
これ以上は、残酷で何故か文章がうまく書けない。また、呻吟苦吟で風邪がもっと長引くといけないので、
ここで諦め。これも、残念ながら、二・八ならぬ現象でしょうか。
話は明るく展開。
彼女は日本舞踊のお師匠様げもあったとは(私は)知らなかったのです。
それで「あぁそうでしたか、さすが、在校の頃から『花の三人娘』と同期にはスターだった体操の選手女性
だっただけの事はある」と、感心しきり。そればかりではない、卒業後も現在にい至るまで、「身体の鍛練」
は活き活き、伸び伸び、づっと継続していますよと。
その三人娘こそ、「ゆかちゃん」(ゆかり)・「ロコちゃん」(ひろこ)・「まーちゃん」(ますこ)というわけです。
「よかネ、ロコちゃんがひろこ、ゆかちゃんがゆかり、だからネ」と念押しであわててメモ。
女性には、旧姓と現姓の別もあるので、かなりの事情通?の男子生徒でも、三人娘の名前の把握は現在
でも紛らわしいことでしょう。同窓会で、実際に再会し、お互い顔ぶれをみれば〜「ああ、あの人・この人」と
懐かしくあっても、愛称までは、言い当てられないもの。
そのお三人は、いまでも、それぞれ、ゴルフに社交ダンスに、そして日本舞踊にと仲良く元気で愉快に身も
軽々と過ごしているのよ、とのことです。それでこそ、神様からの贈り物の、いつぞや長崎での本部同窓会で、
一等当選のホテル宿泊券とお料理つきのクジに当たって、三人でまたまた同期会実現。掲示版へそのレポ
ートがありました。ホント、ワインの乾杯と話の続きは夜更けまで尽きなくても、いつでも眠くなっていい。
臨場感があって、とても楽しいレポートでしたっけ。この場にはかえって他の人は参加しないほうが、よさそうな。
折りにふれて、この「花の三人娘」さん達が私たちにもたらして下さった、その溌剌として楽しい雰囲気は、
これは立派な文化の発信であると、あらためて感じています。ありがとうございます。
同級生、同窓生、同期生が年々に工夫をこらして、集まりを重ねるということの打算のない世界。それが、
こうして豊かな実りをお互いの人生にプレゼント(寄与)し、幸福感をもたらすものだなぁと、気付いたことです。
ありがとう。もう一度、全体的に、ありがとう、です。
やっぱり、若い時から、運動はなんでもいい、継続するべきだし、そう努力したほうがいいと、何よりの教訓を
もらったことも、あらためて感じますし、その何よりの実際としてののこの話題です。