この秋の名月には、スーパー・ムーンなる聞き慣れない天体ショウの名と実の登場で、賑わいました。
お寿司屋さんのご主人が「なにか、もう少し風流な日本語の名前はないもんですかね」と言われたもので すが、ホントにそう感じました。しかし、ちゃんぽんにカラスミが載り、生卵が載る時節柄、スーパー・ ムーン如き新語に、驚いてなるものか。その前にここで早くも脱線すれば、卵は、万能調味うま味食品。 一事が万事、料理にこれを使っても、客にそう悪意は与えないものでもあるから、これは一種の材料選び の行き詰まり、言い換えれば、何かと目くらましの効く材料食品でもありえる。
浪人が傘貼りをして、貧乏長屋で生活の苦労をしていた(という)江戸時代ならともかく、第一回東京オ
リンピック当時から、卵一個の値段はづっと安値安定。貧富の差なんかあんまりないし、むしろ、時々見
かけた、鶉の卵が入っていたちゃんぽんの方が、今から思えば、案外、工夫された演出であるのかも。
ところで今どき、長崎では鶉の卵入りちゃんぽんの実体は、どうなのでしょうか。
そう言えば、卵が入ってさえいれば、「月見」との名付けもお決まり。よく出来た名付けではあります。
半とろの白身は動く雲の見たて。月にむら雲、花に風。うずらの卵ではこうは行きますまい。
久しぶりの『花の青春』とらんぽりんで、今ちょっと流行りの『ルーテイン』的な助走をしています。
ふだんネットでは余り調べものをしない筆者も、今回はいかにもネット時代的なスーパー・ムーンの語に その出所など知りたくて当たってみました。すると、天文用語には違いないけれども、もともと占星術に 関係ある言葉だったらしいです。それ以外で目についたのが、以下−−。
−−暦の関係で、中秋の名月は必ずしも満月になるとは限りません。2015年は9月27日が「中秋の名月」で、満月の1日前です−−−
実際、毎月のことでも、満月のはずが夜になると14日半、あるいは16日ちょっと前……に見えるこ
があります。人間の顔で言えば、向かって左のアゴ部分が少し貧弱に見える状態。
ああ今日は昼間に地球の裏側で満月だったのだと、これぞグローバル思考で、空を見上げる。何しろ
名月の鑑賞は無料なので、人生来し方行く末を思い、幾多の人々がこれを「友」と親しみ、歓びに悲
みにつけ見上げては、一瞬永遠につながる自分をそこに感じることもあったでしょう。
さすがに今回のスーパー・ムーンは、いつもより、ひときわ大きく立派な月でした。
お寿司屋のご主人の疑問通りに、スーパー・ムーンとは無風流、つまり野暮極まりないと納得できます。
その続きをせっせと考えてみると、まず「満月」は当たり前として、「望月(もちづき)」の言葉があ
る。あるにはあるが「大望月」といったところで、よけいに風流に欠ける気がする。
やたら野望だけが大きく、しかも、大味なような。鈴虫の音の大音響…という如しで、「涼(スズ)やか」
「爽やか」気分には遠い語感がします。これを大望月(おおもちづき)…と読めば、出世しない関取りの
ようで、なおイケナイ。おっと、いや、案外これはいい名前かなぁ。横綱の風格があるかも。胸に大望、
身体に大肉付き。出世街道まっしぐら、と縁起がいいかも。
月の大きさを競うのではない呼び名に、「栗名月」と「芋名月」もあります。
「芋(いも)名月」は旧暦の八月十五日、「栗(くり)名月」は、旧暦九月十五日。
してみるとスーパー・ムーンの頃は「栗名月」の夜でもあったのでした。
折しもそのころ、茨城の知人から思いがけなく、新米の包みに添えて「新栗」が贈られてきました。
しかもイガイガ「緑の殻付きの栗」も三個ほど添えて。自然の秋の季節感をも届けて下さったのです。
イガイガの殻入りの栗というものは、なんとなく童話の世界で、可愛く微笑ましく、むっちりと中で実
を寄せ合って、押しくら饅頭をし合っています。
穫れ立て新鮮もので実物の栗だからまさしく「栗色」をしていて、たとえようもない栗光りが見事です。
その深い光沢に惚れ惚れとながめてしまいました。
もっともその満点の迫力の周囲には、ほとんど危険物扱いのトゲ護衛群。慣れない手でちょっと触ると
たちまち、イテ、イテテテテ。チクリ、チクッと正確に反射し指先に、天罰てきめん。
茶道具などで使う器の「溜(た)め塗り」の色。あれをふだんは紫がかってまさに「栗色」だと称賛して
いますが、どうしてどうして、その天然の栗が目の前にあると、本物はこんなにも豪快だったと目から
ウロコの思いです。人間、時にはこういう時間が必要です。しかし、何しろ危険物なので、間違いを起
こさないうちにと、一両日の鑑賞のあと、早々と仕舞うことに。それはそれは用心深く、そろりそろり
と新聞紙にトゲトゲを包んで…。
「とらんぽりん」の準備中に、こうして「いが栗と新栗」が送られてきたのは、望外の幸運でした。
ちょうどもう2〜3カ月も前から、次回は「栗」に縁のあるテーマをと考えていたところでした。
が、真夏ではあるし、まだお茶の季節的にどうかなぁと、その辺の思案をうつらうつら。
さかのぼって、この春頃のこと。今回の茨城の栗の送り主の御母堂が、八十八になられた由で、お宅で
長寿のお祝いがあったそうです。ついてはそのお祝いをして下さった方々へ、返礼贈答用の品として
漆器を考えていること、そこで(かねて筆者の知り合いの)『漆芸の作家』の方を是非ご紹介して頂き
たいと、そんな依頼のお電話をいただきました。
早速、私は、自分の知人の漆芸の専門家に丁重にご紹介し、その趣旨でのお願いしたところ、超多忙に
も関わらず、快く制作を引受けて頂きました。(こういう事って、実に嬉しいものです。わが事のように
双方に対して、嬉しく感謝されてなりませんでした)
この流れの中で、ふと気付くと、筆者自身からは何もこれといったお祝いの気持ちを表わしていない。 せっかくの慶事だから、ひとつ私からも何かお祝いの気持ちを伝えたいものだと、思いついたのです。 そこで閃いた?のが、長崎の文化でした。すなわち、長崎の例の季節菓子『桃カステラ』のこと。あれ はいい。美しく華やかで、縁起がよく、お祝い物には最適だと。しかも異国情緒たっぷりの珍しい郷土 菓子だから、きっと喜ばれるにちがいない…と。これは文化です。食品を通して伝える伝承文化です。 このお菓子の長所は、贈られたご本人以外にも、それを目にする家族や周囲の人々に、祝福のメッセー ジが一目瞭然、すぐ伝わるに違いないと。若く、食べ盛りはもちろん、長寿系のお祝い等には最適だと 思いました。八十八にもなられると、おそらく、ご自分の事よりも日常、ご自分を大切にして見守る そのご家族や回りの人々への感謝の気持ちが、必ずやお強いに違いないと想像しますから。女の方には 特にです。おお、我ながら、これはいいことを思いついた。
さっそく長崎、私達の同期女性の老舗・名物「栗饅頭の元祖、田中旭榮堂さん」にお電話しました。
『おかげさまで創業百十七周年』の長崎名物。銘菓とくに栗饅頭が有名です。
お店の名前出しても「イイヨーっ」。いつもながらの明るく響く声で、創業明治参拾壱年、そこの事務
用の茶封筒には、いかにも明治・大正・昭和初期の時代の雰囲気がする、ちょうどトランプに出てくる
ような男性が、栗の形の看板を抱えた絵が印刷されています。クラシックな、仁丹の宣伝の絵の様な、
グリコのランナー青年の様な、それに共通してオランダ渡りらしいファッションの青年の姿です。大正
ロマンのムード。または三丁目の夕日の町の、赤い郵便ポストの横の壁にでも、貼ってありそうな。
というわけで、春頃には桃カステラを思いついたのでしたが、季節菓子なので間に合いませんでした。
残念。で、同店の本来の有名な栗饅頭を送ることに。これがまた、ユニークで、大きく桃カステラと同
じ位のサイズのビッグ栗饅頭が、ここの人気商品でもあり、私はかねてそれを知っていました。そう、
『栗饅頭』こそ同店の創業元祖の登録菓子。普通に全国にある栗饅頭は、現在でよく見かける楕円形
または小判型です。しかし、旭栄堂さんものは、頭がとんがった栗の形そのままを写し、さらにサイズ
別に各種のバリエーションがあって、並べると、実に茶目っ気たっぷり。
特特大・特大・大・中・小と、お好みにより自由に選べ、もし大きすぎれば、サイズを分けて食べれば
いいし、小さいのは、一口パクリ可。始めてこれを貰った(見た)人は、栗饅頭特有のホクホクおいし
く、さらにこのユニークな特大の形にビックリ・ドッキリ間違いなし。
こんなの見たことないと、もはや笑い出す光景さえ、目に浮かびます。それが贈る側の歓びにもなる。
このとき筆者は田中さん(同級生だもん)と気楽にご相談して、もちろん最大のビッグ栗饅頭をお祝
いの軸にし、あとは回りに色良くお祝いムードにほかの菓子の按配をおまかせお願いしました。
因みに「ものの元祖の誇りとアイデア勝負」は、こういう風に楽しく自然に展開工夫すべし、その模範
のような例だと考えます。元の味や本来の風情を生かしてこそ、です。
これなら送って喜ばれることを確信し、ワクワクする思いで、届けてもらいました。
という次第で、そのお礼の万感が籠められたことを、届けられた小包にすぐに痛感しました。こちらは 忘れた頃。世は収穫の秋、豊穣の季節の到来というお知らせでもあります。思いがけない、この茨城 からの新鮮栗には、その深い栗色にも勝る深甚の思いで受け止めて貰ったことも伝えられています。
もうひとつ。こうした交流の機会を通じて、同時に、西高14回の同期生としては、田中さんご自身に
長年のこと大小の同期同窓会で、必ず、この栗饅頭を出席の皆さんに「おみやげ」として頂いている
ことに、厚くお礼を申し上げたいと思います。
本当に、いつもいつもこの「おみやげ」をプレゼントしていただき、ありがとうございます。
同窓会の帰り際、いつも大事に持ち帰り、チャンスがあれば、それを親戚に渡せば必ず喜ばれ「美味し
かもんね、あそこんとは」と賞味されます。それはとても嬉しいことで、これを福分けといいますが、
福は分ければ分けるほどいっそう「福分」が増してめでたいものです。もし、自分が食べたくなったら
遠慮せず、直接、お店に注文できますし、それもまた、幸福な話です。一種の保存食でもあり、栗の生
命力がそうさせるのでしょう。
なお、その茶色の封筒には 『店舗はNBC長崎放送裏通りを 長崎歴史文化博物館方面へ向かい
西勝寺を過ぎてすぐの四つカドにございます』と案内があります。いつぞやどなたか「掲示板」上に
その辺で迷ったことを報告しておられましたが、今度はこの案内の通りにいらしてくださいね。
無事にたどり着いたはいいけど、銘菓・栗饅頭の一個も買わずでは、無粋なので、せっかくのこと
元祖の老舗の銘菓の栗饅頭を、お求めあれ。これは同級女子としての友情宣伝です。
いい雰囲気になったところで今回は、話をこの辺にいたしましょう。
(※ちゃんぽんの話は、まだ決着をつけていない。あの新種のカラスミちゃんぽん出現のハナシには、
心底『がっぱい』した。この『がっぱい』は、純粋な長崎の方言か私にはまだ未確認。自信がない。
方言指導の師匠方に確かめねばならん。 物事に落胆する、その深さを表現するのには、共通語では
ダメ。ガックリでも、ガクッでもなく、がーっぱいして落ちこみ、再起不能的な『がっぱい』と
いう土着的に強い感慨には、『がっぱい』が一番似合う。 そして、このまま黙っていられるか。
強く反発していっそ、独立「ちゃんぽん」の自尊自衛自律文化親衛隊を立てあげたいくらい、頭に
きている。世界遺産になってからでは遅すぎる。まだ原型がみられるうちに立ちながらねば。
でも『がっぱい』連盟では、ちょっと…ネェ。新種の愚連隊のごたるし……)