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長崎西高14回生同窓会トピックス

『花の青春』とらんぽりん 31

1、2、3……用意ドン。張り切って、本ページに年賀状について書きかけのとき、お電話を14回同期の 方から頂きました。

そのタイミング。ちょうどいい、長崎の地名・地形について、今は記憶が曖昧になり、確かめたいこともあ ったので、そんな話題から話がはずみました。
昔は……50年前なら…もう充分に昔ですよね…(ただ長崎文化では、明治も、幕末も、まだまだ昔という より近代、いやつい最近だとの感覚が無きにしも非ず…)となると、昔を語る私たちも、論理的には昔の人 になって来るから微妙ではある。その中とりあえず、気持ちの不思議トンネルへ入ります。

長崎の町へ「入る」のには、日見トンネルを必ず(とくにバスでは)抜けていたのに、そう言えば、東望の 浜はバスからは見えたのだったか、それとも、いったんバスを降りて、足で近づいて見えたのか、トンネル を過ぎるとそこから、急に道は下りになり、そこで右手に見える水面は、本河内ダムという名前だったか、 等々、なつかしく思い出は尽きません。もっとも私の側は「思い出」だけれども、長崎在住の方には現実の 風景です。それにたびたびの同期同窓会で帰郷しても、だいだい2〜3日の滞在でり、町の全体再訪という のは実現しにくい。

そんな風な会話のおしまい頃「今日の長崎は、雪ですよ。明日には10センチは積もりますね」とのこと。
「へエー、関東よりそちらの方が暖かいはずのイメージがあるのに、雪なのですか!」
「はァい、そちらは?」
「えーっと、関東は……」と言って、夜だから、空の色は見えず、寒いような、曇っているような、暖冬続 きの最近、自分でも天候の行方が不明。「なんか天気予報では、明日の関東はとても良いお天気のように言 っていますよ」と、間抜けな返事になったことです。
が、まさか九州の方が大雪で、しかもその翌日ドカ雪。長崎地方でも気象台の記録始まって以来の「豪雪 になった様子を、全国ニュースで盛んに報じていました。
毎年のこと、台風があり、大雨があり、本年はまた南国なのに大雪にまでに襲われて、どうお見舞いしてい いか戸惑っております。どうか、足元・頭上といろいろお気をつけください。

それしては、この会話、双方どこか互敬の念が(そこはかとなく)ある感じでしょう。それもそのはず電話 のお相手は当の同期のサクラ様ではなく、その令夫人との親しい会話に選手交代していたのです。つまり、 会話のお相手がバトンタッチされて、役者が替わっていた。

最初に電話頂いた、ほとんどすぐの頃、急に音声途絶があって、オーイ、生きてますかと呼びかけたほど。
実情は……、なんでも令夫人(奥方)の話によると、その時点でサクラ様はもうすっかり酩酊されて、それ も早や「爆睡・中」だとか。いいなぁ、いいお酒だなぁ。羨ましい。
その夜は、先程までお揃いで外出だったそうで、仕事関連でのお正月・新年会だったよし。

      外は雪。それも明日はいよいよもっと積もりそうな夜ふけ。そんな中の外出さぞお寒かったでしょう。
  また滑りやすい坂の町・長崎でのこと、まずは無事にご帰宅何よりでございました。

「アラまぁー、そんな折りにお電話頂いて、久しぶりで、うれしい限りです」と私(関東サイド)。お相手 が現在長崎というだけで、いつも羨ましいのはなぜでしょう。風か雲か、皿うどんか、ちゃんぽんが呼ぶか。
「はーい、もう酔っぱらうと誰にでも気軽に電話するんですよォ」。
 ……そういえば、この紳士からたまに電話を頂くときは、たいてい「今から、乾杯ですよ」とかで、酒気 帯び系。そんな雰囲気で、べリーグッド。リラックス系である。
だから、よくあるのがこの場面。「今ですね。ちょうど、私の隣りに立っている人が西高の先輩です。いま 電話替わりますから」って。長崎では人が5人寄り合っていれば、その誰かに同窓生がいる按配だから、そ れも別に不思議ではありません。これが東京でだったら、たいてい「私も九州です」から始まります。
それから県名になって、それからが長崎なら市町村、そして、高校はどこ?と、展開する。学校の先輩か、 か後輩かとなるには、時間がかかるのです。
そんなァ、急に同窓生と紹介を頂いても、こちら電話ではその先輩様のお顔は見えないし、どうするのよ。
「いいですねェ。ビールが美味しいでしょう」くらいしか思いつかない。それでも、それは楽しいものです。
ところで思い出した。づっと以前。当時の国電の中・ドアの付近で、まったく見知らぬ人が西高の同窓生だ とわかって、面白かった。二人連れの大学生風の男子が、ハデーな九州弁だったので、懐かしく、思わず 「長崎ですか」と聞いたら、はい、西高です、と。実際にはハデーな長崎弁と言ってよかったのですけど。
その頃まだ在京同窓会の交流は今のように確立していなかったのか、「頑張ってくださいね」くらいで私は 電車を降りたのでした。何を頑張るのか、多分、私の方が上京の先輩で、東京生活ガンバってだったかも。

と、ここからは、爆睡・前の同期のご本人、との会話です。
「なんとか…かんとか…、どうとか…、こうとか…それで『先生』あのね」と私は、ごく普通に口にする。
すると、「同級生同志で『先生』はオカシイですよ」とボソボソと忠告(注文)いただく。
「そう言われたって、先生だから先生です。自然にそうなるのだから。学校の先生とお医者様は、誰にとっ ても、先生です」「だって、そうでしょう。そうしか呼びようがありません。なんなら、ケンちゃんと…」 (----ここで電話のお相手がどなたか、皆さまお気づきかと---)、なのに「それでも、イイですよ」だって。 そんな、畏れ多くも、男子生徒同志ならともかく、この先生相手にケンちゃん!だなんて。まさか。
高倉の健さんだって、ケンちゃんとは呼ばれないものを。困った。ホントに困った。大いに困った。
爆買いでも、爆睡でもなく、爆困?であります。とにかく、こんな次第で、愉快な通信・年賀交換でした。

しかし、これだけは、是非きちんと付記しておかなくてはならないことが。

令夫人のお話によると、自宅外でそうした会合の機会などあっても、ご自宅では晩酌はならさないと。
いつ何どき呼出しが起こるかわからない、だから、晩酌はしませんと。
御職業がらとは言え、これは大変な事。凡人の及ばぬ重責の至るところ、なんと厳粛な日常姿勢であられ るか、あらためて粛然となりました。深い敬意を感じないではいられません。

なお「先生」には、かねてから「時々はホームページを覗いてもらわないと、先生のこと書きますからね」
とお話しております。そんな、雪とお酒とお正月、という季節の近況話題でした。
でも、すぐに二月。

ここから話は、落語風に展開いたします。鬼は外。
雪いよいよの立春の頃ですが、ちょうど二年前。二月バレンタインの夜から、関東(〜東日本以北)は、 更けるほどに降りしきる白銀の世界に変貌しました。電光にキラキラ輝く、きれいな雪ではありました。
その後の数日は全交通機関がマヒして、大変だったと、その雪害の皮膚感覚がまだ残っています。
人であれ、車であれ、雪に慣れない地方にとって、自他共にスリップというのが一番怖い。雪の上ばかりで はなく、畳の上でも滑るご時世(年令になり)故に、そりゃぁもう「すってんころりん」の怖さは想像に難 くありません。受験時期にこれは何たる「禁語」だなんて、ビビっては、なりません。
他人がすってん、俺は合点と思えば、競争社会・世の中バラ色、桜色。一番イヤな事こそを、正面から受け 止めて真っ向勝負する時、初めて人間は強くなる。なーんちゃって、寅さん風に。

とはいうものの、人類?は言葉の持つ霊力を多く信じます。源平抗争の時代に、『奢る平家は久しからず』 と言う人があった時に、即座に『奢らざるものも久しからず』と打ち返した誰かがあった。なるほどです。 言葉の力では格別に人は、縁起が良いの悪いのと騒ぐもの。
しかし、「縁起」はもともと、自分自身の中の原因と結果が外に出たもの。自分以上でもなければ、自分 以下でもないものの力を、実力と呼びます。

そんな空虚な騒ぎに惑わされないで、雪やこんこん「こたつ」の中の、言葉遊びでもいたしましょう。
ヒントは「すってんころりん」の言葉の軽快さが面白くて。
で、類語を思いついたら、なんと「す」のつく言葉には、ロクでもないものがずらり。
すってんてん・すっからかん・すかんぴん・すっぴん・すれっからし・すっとこどっこい・すっぽかし・ すてばち・すきっぱら・すすける・すったもんだ・すりぬける・すばしっこい・すまーして・すっぱり・ ・・・
何かもっと人生肯定的な言葉はないかと捜したら、「すばらしい」「すこやか」「すっきり」「すらり」 「すなお」「するどい」「すがすがしい」など、明るい色彩の言葉もありました。「寿司」も入れるか。
で、春から、あんまり余計なことは、すんぱいすないことにすますた。福は内。福や来む来む。福は内。

2016/2/1 ながた みほ

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